来年四十路に突入する中野です。
孔子の「四十にして惑わず」から40歳は不惑の齢と言われます。
来年には惑えなくなってしまうので、今の内に惑っておこうと思います。
惑う?迷う?悩む?
似た言葉がいくつか思い浮かんでしまいました。
私はどれをすれば(どれになれば)良いのでしょうか???
この会社に入社した直後の私は、惑っていたと思います。
前職を辞することになり、今の会社に入りましたが、
社会人経験と呼べるほどの経験も無いまま入って来て、
独特な社風に戸惑う毎日でした。
そんな私も会社に慣れたころ、私は迷っていました。
自分自身のスキルやキャリアについて迷うことが多々ありました。
大小さまざまな成功、それを大幅に上回る失敗を繰り返す中で
そう言った迷いの霧が徐々に晴れ、道を切り拓いて来たように思います。
30歳も半ばを過ぎたころから、私は悩むようになりました。
自分自身のこと、会社のこと、部下・後輩のこと、、、
20代から30代にかけて、惑い迷い悩んできました。
そう言った日々の惑いを解消し、迷いを晴らし、悩みを解決してきたのは
考えること、であったと思います。
時には仲間や上司に助けられることもありました。
それでも、最後の解決は自分自身で行うものです。
ロダンの像は考える人です。
パスカルの言葉は人間は考える葦です。
来年不惑を迎える私ですが、これからも悩みは尽きないと思います。
そんな中でも、考えることは止めずにいたいと思います。
師走の仕事納めの日、リリースやら納品やらに周りは慌ただしく
喧騒に包まれる職場でも、走ることなく歩む私。
この投稿はこのあたりにしわす。